昭和43年1月29日 朝の御理解
                      中村良一
御理解 第87節
「腹は借り物というが、借り物ではない。万代の宝じゃ。懐妊の時は、神の氏子がわが胎内におると思うて大切にせよ。」



 「懐妊の時には、神の氏子がわが体内におると思うて大切にせよ。」小倉の初代、桂先生が、当時、日露戦争の時、まぁ、言うなら、なり組長の様なものをなさっておられたらしいですね。というようにその、(せんさいが?)さいきんは買わなければならない。そのさいきんを、ご信者方にもお進めになる訳ですね。そらやっぱり、色々な組、色々な方から、言ってくる訳ですから、もう、私の方は、もう買いましたとか、もうこのくらい買いました、どこからも進められましたという風で、断る信者がおる訳なんですよね。そん時に、その、桂先生が信者に仰ったそうです。俺んところのような、貧乏教会ですら、これくらいだけ買ったぞ。お前んところが買えん事があるかち言うてから、信者に言われたそうであります。大体、桂先生という方は、非常にこの、言葉遣いが、まぁいうなら、荒かった。まぁ、悪う言うなら、汚かった。この頃、亡くなりましたが、日田の堀尾先生なんか、若い時から、目が悪かったらしいですね。この目ただれがち言うて、怒っておられたそうです。甘木の初代、安武先生の奥様なんかにはね、このわらけと言うて怒られた。お前ら、百姓じゃから、なーにも分からんという意味なんです。わらでケツ拭いとるぐらいの女子じゃけん、まだ、何も分からんと言うて、その、躾をされたという事ですが、躾の仕方がですね、そういう様な表現をなさったという事です。ですから、やはり、神様も、この男ばかりは、それこそ、まぁいうなら、またとない様な素晴らしい信心を持っておるんだけれども、これだけはと、やっぱ、おぼしめす事がおありになっただろうと思いますね、神様が。惜しい、いわば、玉に傷だと。俺のところのような、貧乏教会ですら、これこれ買ったぞ。お前んとこが、買えん事があるもんか。叱られた時に、その後で、神様から、大変なお叱りを受けておられますよね。桂松平、汝に、何時神が貧乏させたかと仰ったそうです。これは、仇口とでも申しましょうかね、無駄口というのじゃなく、仇口です。こら、本当にあの、信心させて頂く者はですね、そこんところを、一つあの、心掛けなければいけませんよね。なるほど、愛嬌があったり、また、親しみを感じたりするような場合がありますよね。なら、奥さんの言葉を使いましてね、かえってその、そこに愛嬌が生まれてくる様な場合もありゃ、かえって、親近感を感ずるという事もあります。けども、やっぱり、信心させて頂くなら、どのような所からでも、信心になって行かなきゃならない。改まって行かなければならないと思いますよね。
 教祖の神様に、神様は、家族の者でも、あなた、こなたと言うてと言うておられます。私は、家内を呼び捨てにいたしましたり、家内を、人の前で、その、罵倒致しましたり。本当にこら、心がけなければいけない事だと思います。いや、 心では、まぁこりゃ、いうならば、アイラブユウの表現なんだ、といった様な事を申します。けれども、やっぱり、良くない。他から聞いておって良くない。
 私も、夕べ、帰ってから、色々、まぁ感じるところがあったんですけれども。この頃、宅祭りに参りますとですね。どこへ行っても、非常に、語気が、ちょうど、十何年前もそうでしたがですね。最近、この頃、非常におとなしくなったと、私は。ところが、この頃からですね。あ、繁雄さん方の宅祭りあたり頃からでしょうか、非常に、言葉が汚くなった。非常に、語気が荒々しくなった。それでも、まぁ、昨日、秋永先生じゃないですけれども、昨日、高芝さんところの謝恩祭。もう本当に、思いがけないお祭り。もう、出来まいと言うとこでしたね。教会の行事が、色々ありましてですね。時間的にも、色々、窮屈な中からやりましたんですから。それが、とてもとても、皆さんの協力で、何時ものお祭りよりも賑やかに出来たようにございましたがです。私が繁雄さんを、お話の中に評して、鈍だ、鈍も良かとこだといった様な事を。あれが、反対に言うと、繁雄さんは素直な人だ、おとなしい人だと言う訳なんです。けども、それを、ひっくり返しに言うと、あんた、鈍だ。鈍も良かとこだ。と言う様な、まぁ、激しい、言うなら、悪口を言うたわけなんですけれども。それがですね、分からんのですよ。秋永先生なんか、それを、いやもう、今日の御理解は、もう、本当に、胸がすっとするごたる御理解じゃった。まぁ、それにですね、私が、ほんなら、輪をかけたように、だからというて、私が、この、毒素になって行ったんじゃいけないなぁと、こう思いました。それこそ、神様が、取って押さえて、お叱りを下さっても、仕方がないような感じでございます。あそこにおる、上滝さんとこ辺りもそうでした。もう非常に、始めから、上滝さんの悪口でした。もう信心する者、その中心である、あんたが、大体、なって無いち言うような、その、だから、嫁後やら、息子達は、はぁ、お母さんがやられよるばいのち言うごたる。ところが、最後になったら、息子やら、嫁後が、ぎゃふんとやられるといった様な、御理解は御理解と言うても、教話は教話と言うても、そういう様な事であった。もう最近、それが、宅祭りに限って、こう続く訳ですね。こりゃ、本当に、お互い、やはり、紳士淑女といったような意味合いではなくて、信心させて頂く者は、何事にも信心になれよと。信心する者は、何事にも、いうなら、言葉の端にも、実意を込めた表現が出来なければならんと教えておられるのです。他んところは、素晴らしいけれども、ここだけは、これだけは、先生、止めなさるといいですけれどもねと、繁雄さんから言われたり、思われたり。神様は、なおさらのこと、そういう様な事もあろうかと思います。もう、あるどころじゃない。そういうところを、私は、大事にして行かなければならないと、こう思うのですね。改まらなきゃならんなと、私は思います。
 そこでその、まぁ、今日、一番初めに申しました、第八十七節の、これは、女の方が、懐妊のおかげを頂いた時の、これは、御教えなんですけれども。最後のところの、懐妊の時は、神の氏子が、わが胎内におると思うて大切にせよと。例えば、難儀と感動、様々な問題。そういう様なものはね、良いものが生み出されるための前提なんです。良いものが生み出されるための、言うなら、陣痛の様なもんだ。もう本当に、その、十月十日と申しますかね。その中にはです、もう本当に、これから、子供を産まんぞと言うごたる苦しい時もある。まぁこら私が、男で分からんけれどもですたいね。つわりなんかと言う時があって、ご飯もいけん。もう、食べ物の匂いをきいただけでも、むっとするといった様な時代がある。けれどもです、今こそ、自分の胎内に、神様が宿ってござるんだと、こう思うたら、それを大事に、大切にして行かなければいけない。ここんところをですね、わが胎内に、神が、ね。神様が、胎内に宿ってござるんだという様な心持でですね、大事にして行ったら、おかげ頂くだろうとこう思う。ほんとに、ここのところを大事にして行かなければならない。教祖の神様は、非常にその、表現が柔らかで、素晴らしいですね。
例えば、女は、家の家老じゃからといった様な表現をなさっておられますね。女ち言うてから、昔は、ちゃんと、女はもう、業担うち来とるとじゃから、といった様な表現をなさっておられない。けれども、それを、よくよく考えておると、女は、家の家老じゃと、こう仰っておられるけれども、してみると、男は殿様ぞという風になるのですけれども、そこは仰っていない。そう言うたら、やっぱり、女性のプライドを傷つけると言う訳なんです。ね。どこまでも、やはり、教祖の神様は、男は、家で言うならば、殿様ぞと。女は家老ぞと。どこまでも仕えて行く者ぞと。家老が良うなからなければ、城は持てんぞと。そういう風にですね、その、そうは仰らずに、私は、何時も、そこんところを、やっぱ、どげん言うたっちゃ、男は殿様じゃけ、あんたどんは、家老じゃからという様にも言いよるけれども、教祖は、そこは仰ってない。女は、家の家老じゃからと言うところだけを仰っておられます。だから、やっぱ、女も、良い気持ちがするですよね。もう、どこを見ても、そういう様な感じですね。その点、四神様なんかは、もう、何か知らん、もう、何かこう、切れもので、すぱっと切ったような、御理解を下さっておられますね。教祖様と、四神様の、まぁ、ご信心、ご性格の違いを感じます。ね。
 桂先生なんかは、もう、どこまでも、やはり、四神様仕込みでございますから。もう、信者なんかでも、もう、お前達は、という様な表現をなさる。それも、確かに、信者、その氏子を、本当に、大事にしておられる。まぁ、いうならば、表現であったに違いない。憎いからじゃない。私共も、そうである。高橋さんところに於いても同じ、上滝さんからでも、堤さんからでも、本当に、おかげ受けて貰わんならんと思うからこそ、つい、語気も激しくなる、言葉も汚くなるのでございますけれども。ここんところが、やはり、修行不足だ。そういう、例えば、事がです。それが、私の胎内の中にあるんだと。という事はです、ほんなら、繁雄さんの、私が悪口を言うても、堤さんの悪口を言うても、高芝さんでもそうです。大体、親父がなっとらんといった様な表現なんですよね、昨日なんかは。それでもです、よくよく考えてみると、私の信心の分子ですからね。私の信心の内容なんですから。まして、総代さん方。私の心の中に、どんなものがある。親父がなっとらんと言うものが、私の心の中にあるからなんです。まず、親父がなっとらん。ね。そこんところをです、私は、その、形の上に於いても、言葉の上に於いても、または、お互いが、それぞれ感じておる、その難儀といった様な問題においても。それがです、必ず、おかげになる元なんです。いわゆる、神の氏子が、わが胎内に宿っておる。おかげの頂ける元。それを、本当に、これが、妻ではなかなら、もう、こげなこつなら、またから、産まんぞと思うたりする事は、いかに、神様に御無礼かという事が分かる。神様は、おかげ下さろうとしての、いうならば、神愛である。難儀じゃない。けれども、ここんところを、やはり、十月十日と言うものは、通らせなければです、いわゆる、満潮になってこない。潮が満ちてこない。それを、私共は、十月十日で出らにゃならんと、もう、早う出そうごたったり、場合によったら、もう流そうごたったり。もう、またから、子は産まんぞと言う様な事では、いわゆる、子孫繁盛にはなりません。おかげになりません。まず一つ、言葉から、態度から、私共は、もっともっと、少し、実意丁寧に、金光様の御信心振りに、いわゆる、教祖様振りにならせて頂くことをですね、心がけなければいけない。これは形の事。同時に、内容のものに於いてもしかり。現在、自分が持っておる、その問題なら問題を、もっと、実意丁寧に、本気で、今こそ、おかげの頂けれる。良いものが生み出されるためのです、陣痛である、つわりであると思うて、そこのところを大事にして行かなければならない。という風に思うのです。
 如何にも、私が、桂先生の例を持って申し上げました事と、御理解八十七節の、下のところですね。懐妊の時は、神の氏子が、わが胎内におると思うて大切にせよと仰るところが、意味が違う様ですけれども、よくよく考えておると、同じ事なんです。わが胎内に、今こそ、神様の、おかげを下さろうとする思いというか、働きというものが、今、胎内に宿っているんだ。ここを大事にしていけば、十月十日たてば、時期がくれば、必ず、それが、良いものになって生れてくるんだと。皆さんが、今感じておられる、難儀というものは、全部、それなんです。それを、お粗末にしたり、御無礼にしたり、不足に思うたり。どうして自分だけは、こげな難儀をせなければならんだろうか、なんとという様な事ではですね、良いおかげになって参りません。いや、おかげになって参りましても、いうならば、お徳になって参りません。同時に一つ、お互い、態度に於いても、言葉遣いに於いても、もっと、私共は、慎重に、何事にも信心になれと仰る、その信心になって行かなければならない。
 私は、思うんですね、その、いわゆる、桂先生あたりの場合乃御信心を受けられてですね。久留米の初代なんかは、もう、それこそ、実意丁寧を極められた様でございますね。豊かな言葉遣いをなさっておられます。やはり、師匠の、それを見てから、はぁ、幾らなんでも、師匠のここはと、やっぱ、思われるような事があったのかも知れませんね。石橋さん、あんたんとこの息子は馬鹿じゃなと言うてから、仰った。もう、それこそ、烈火の様な、憤りを感じても良いところですけれども。そこは、さすがに、石橋先生です。まぁ、何という事を仰るじゃろうかとも思われなかった模様です。親先生、おかげで、信心が出来ますと仰ったげな。そういう生き方をなさったんですね。しかも、満座の中でですよ。それで、例えば、ほんなら、桂先生は、やはり、憎いから仰っておられるのじゃないでしょうけれどもです。これは、私の悪いところまで、取らないで良か。欠点まで取る事は要らん。やっぱり、改めていかにゃんところは改めて行ってです、 より良い、立派なものが、次々と生まれて行かなければならん。
 私は、昨日の、高橋さんところの宅祭りの事からですね。そんな事を感じたんです。こりゃ、改めて、もちっとです、教祖様の仰るように、同じ、ほんなら、女は、業を担うとるからと仰らずに、女は、家の家老じゃと言う様な表現法をですね。考えなければいけないという様な事を感じました。どうぞ。